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言葉の意義
前号はお殿様と神社との地位くらべやった。勝負なしまあ引き分けや。このあたりが、ええとこや。彼方に軍配上げればいちゃもんがつく、こんなのを触らぬ神に祟りなし。
今回はお殿様第13代藩主岡部長職公が置き土産に“牛頭天王社”を改称され岸城神社と命名されたを書くよ。
この時代までは現在の岸和田天神宮こと沼の天神様へ沼町・筋海町・並松町・下野町・藤井町(別所町は後年参加)も総て牛頭天王社(岸城神社)に宮入りしていた。
お殿様と神様のどちらが偉いんやを随時書いて来たが真実ほんとうのことを“みっちゃん節”が教えてあげよう。神様に決まっている匙加減で物を言うなんて所詮は人の子、神に敵う筈もあるまい。月とスッポンくらい差があって然可し。
元を正せばお城入り、お殿様第一、その後に三の丸神社参拝だ、お殿様イコールお城入り、このお城入りが明治2年1869年藩籍奉還、第13代城主岡部長職候が“牛頭天王社”を岸城神社と改名されています。
依って岸城神社の名称は比較的新しいのです。お城入りの名残りで宮入りが定着して、正しくはお宮参りこれを宮入りことお宮参りとなったとしておこう。
岸和田22台現役曳行だんぢりを見ても、鳥居を潜らず道端にだんぢりを止めて関係者のみお参りしているのは、お城入りをしていた岸和田組だけや。一般曳行参加者は自由参拝や。宗教の教えによっては鳥居を潜ることが出来んそうや、そやけどだんぢりの綱と一緒に神殿まで来てもうた、しゃあない。手を合わさん、頭は下げん、勝手にしやがれ。
官主さんが道端に止め正面を向いているだんぢりに出向き清祓いをしている。だんぢり様は鳥居を潜れんけどちゃんとお参りしているんだぞ!。
ここでちーと解らんのはお城が出来る以前から三の丸神社が現れている、お城が出来たので三の丸神社へのお参りがお城入りのついで参りになり下がったのだろうか、市史にもあるが、お城入りの後に三の丸神社へお参りして帰るとある。
ほんならなんかえ岡部の殿さんが岸和田へ来てから宮入り(宮参り)は二番煎じになったとぬかすんかえ、ぬかすもぬかさんもない、氏神様よりお殿様の方が偉らかったんだよ、平たく申せば身分が神様より上と云うこっちゃな。
よう覚えときや、神様は今年はだんぢりを曳かさん又は中止やとは云わんけどな。そやけど鶴の一声ならぬ殿の一声で決まりや。
これに引き替え神様は今年はだんぢりを曳け曳かさんなんておっしゃらん。お殿様の匙加減で今年は当方の都合に依りだんぢり曳く事罷りならんこれで総てちょん。問答無用一年間の町民(市民)の楽しみも糞もあったもんやないのう。あわれだんぢり祭は中止と相成る次第。
今風に何んでなら何があかんのや、云ったらその場で首と胴体が離ればなれの時代や、しゃあない。でもある意味ではおもろいのう。
十分考えさせられる所、有りや否や。でも神様が二番煎じ?とは嘆かわしいのう。でも殿様は偉いお方やから神様の上位より物申しても罰当った話など古今東西聴いた事ないのう。
世の中の移り変わりを今回の第27話をもって完結します。
次号は何が飛び出すやら春爛漫桜吹雪きに浮かれて楽しい文章をと願っている。JUGEMテーマ:地域/ローカル